Apple のオリジナリティ

本日予定されているビル・アトキンソン講演に触発されて、ここのところ「つまるところ、Apple のオリジナリティとはなんだったのか…」ということをいろいろと考えています。言語ではなく暫定ダイナブック環境としての Smalltalk システムの姿(というか、VM ベースというハンデはあれど、それを Mac や Win、Unix と対等に扱うべきだという“切り口”)を知るようになってから、自分の中での Apple、特に、Mac や Lisa において同社が当初主張していた革新性やオリジナリティに対する見積もりとそれに対する評価は、それをはじめて知った時分よりかなり低く(というかほとんど皆無(^_^;)…に)なっているのはいろいろなところで再三書いているとおりです。


ただ、Apple のやり遂げたことには、単に、XeroxSmalltalk を OS とした ALTO を「パーソナルコンピュータ」として市場に出すことなく済ましてしまったことにより実現できなかったことを、Apple が Lisa や Mac で(市場への“マジック”さながらのアピール手法により、その不完全さを補うことで −− すっかり騙された身としては、この“マジック”の手腕もたいしたものだったと思いますが、それはまた別の話)成し遂げた、という以外にも“何か”があるように思えます。(まだ、騙されている?(笑))



「未来をつくった人々」にもあるように、Lisa が受け継いだものは Smalltalk の機構ではなく、そのルック&フィールのみにとどまったというのは(多くの Mac ユーザーの常識や、Apple vs. Xerox 裁判の結果には反しますが)、双方に多少なりともまとまった知識を持つ人間の実感としては(他に見られない双方の類似性からも)明らかな事実と言えそうです。この流れでは、Apple が Lisa を作るに当たって、Smalltalk の技術はほとんど利用していない…という言い分はしごく正当なものだとも言えます。


ただ、Smalltalk システムにおいて、オブジェクトやオブジェクトメモリという仮想デバイスを使用するという革新的な手法(もとい、LISP 的な手法(笑))で実現されていた機構をあえて用いずに、ファイルやファイルシステムという旧態依然とした機構のままで Smalltalk システムのルック&フィールを実現することに費やされた労力や工夫を Apple のオリジナリティだとするのには(貧弱な DOS をベースに様々な困難を解決しつつ Windows を構築し“Mac に近づけた” MicrosoftApple がさんざん馬鹿にしてきた経緯を不問に付したとしても(笑))違和感を覚えます。


この観点から厳しい見方をすれば、たとえば Mac の最大の“売り”とも言える Finder は、真のオリジナルというにはいささか弱く、むしろ、Smalltalk の機構を古いものに置き換えるときに生じ得た“副産物”だと考えるべきだと思えます。また、メニューバー(プルダウンメニュー)や、クローズボックス、タイトルバーのドラッグによるウインドウの移動もしかりです。これらは、Smalltalk の前提とする3ボタンで実現されていた快適さや、(必ずしも快適さではベターとは言えないものの)高度な一貫性が保たれていた UI を、ワンボタンでも実現可能にするための生じた、苦肉の策とも言うべき、やはり“副産物”です。


こうしていささか厳しい(あるいは、Smalltalk システムびいきの)目でそぎ落としてゆくと、Lisa/MacApple が当時宣伝していた“売り”で Smalltalk システムの影をみないものは、ほぼ皆無と言えそうな気がしてきます(例外があったらコメントください(笑))。この観点からは、別に、Smalltalk システムがすでに実現していた使い勝手を意識していない頃の、PARC 訪問前の Lisa のプロトタイプ(これはたいしたことはなかったと言われています)、あるいは、アトキンソン言うところの(そして、おそらくは、Lisa のプロトタイプで具現化されていたものは別の)Smalltalk システムに“汚染”される前の「オリジナルの研究成果」がどんなものであったのかは、是非とも知りたい興味深いところです。



しかし、こうしてそぎ落とした後にも、冒頭で述べたように Lisa/Mac にはきらりと光る確実な“何か”が残ります。おそらくそれは、後に“Mac らしさ”と言い習わされるようになった(しかし、かつての私を含めてその表現の使い手が、必ずしも的確にそれを別の言葉に言い換えることができなかった)ものと同じでしょう。私はこの正体を「初心者に優しく、ベテランの手に馴染む」ちみつな UI デザインだと見ています。開発者もエンドユーザーも徹底して隔てることをしなかった Smalltalk システム(開発者もユーザーであり、同時に、エンドユーザーも何らかのプログラミングは必要であるというスタンス −−− まあ、このお陰で Smalltalk システムはそれと相応しくない文脈でも“開発環境”と何の断り書きもなしに連呼されてしまっているわけですが(^_^;))に対して、Apple は「プログラミングをする人」を対象ユーザーからあえて排除するという今にして思えばいずれ自らの首を絞めることになる愚かな行為によって失うものと引き替えに、この“Mac らしさ”に到達しえたのだと私は想像しています。


その発見に至るきっかけそれ自体はあまり誉められたものではないのですが、この「ユーザーの成長を見越したちみつな UI デザイン」、それに価値を見いだし注力する姿勢こそ、まさに Apple のオリジナリティであり、同時に Smalltalk システムに欠け続けてきたものだと言えそうです(Squeak コミュニティはここに早く気付くべきです)。なお Apple は、今も一貫して開発者に薄くエンドユーザーに厚い(というか、まるでエンドユーザーにプログラミング類似行為を禁ずるかのごとき)スタンスを変えていません。Newton しかり、Macintosh System や Mac OS からかなり改善されたとは言え、OS X しかり、iPod しかり、です。唯一の例外の HyperCard も、Apple はこれを放置し、亡きものにしてしまいました。慢性的な開発者不足、いまだに“Mac らしい”方法で提供されないユーザースクリプティング環境につのる不満の元凶はここにあるのに、Apple はまだそれに気付いていません。