京都賞

…の関連で、また「初の GUI 搭載コンピュータ ALTO 」だとか「Smalltalk という“言語”」だとかいうのをまったくエクスキューズ無しで言い切るたぐいの記事が氾濫しているのを横目に頼まれもしないのに辟易としているわけです。いや、ALTO でもいいんですけど、ALTO はもう無いんです。だったらせめて、今ある Smalltalk システムのほうを正しく理解するよう、あるいは理解させるような書き方 and/or 事前調査を心がけてくださいよ…と。とにかく、SDD とか PARC でも CSL とかの関係者でもないなら、Dynabook と ALTO と Smalltalk を別個のもののように書くのはやめにしませんか?と小一時間(笑)。


そんな中でもちょっと、Wikipedia あたりの影響か、知られていないけど実は CUI ベースだった ALTO OS やそこで動く GUI ベースのアプリたちではなく、“初の本格的 GUI ベース OS である Smalltalk システムで動作する ALTO ”をそれとなくイメージさせる書き方と、相変わらずの「Smalltalk ってったら“言語”だろうよ」という一見矛盾する、あるいは葛藤すら見え隠れする記述が共存する、いい意味で分裂症ぎみの記事が心なしか目立つようになってきたのは、よい傾向なのかも、とも。