各要素が「0または1をとる乱数」から成る長さnのリスト


勝手にどう書く0.0 より。

(1 to: 10) collect: [:i | 2 atRandom - 1]
(1 to: 10) collect: [:i | #(0 1) atRandom]
(1 to: 10) collect: [:i | 'ACGT' atRandom]


use や import がいらないのが SchemePython に対して、Smalltalk のよいところでもあり、悪いところでもあり…。


追記:くしくも id;propella な山宮さんが、この Smalltalk システムの悪いところ(まあ、よいところも…)ずばりを「何でスクイークを捨てたいかというと」という切り口で述べておられます。

何でスクイークを捨てたいかというと、一つのイメージの上で作業するというモデルは、ダンが居たときにはうまく動いた。PARC の時もそうだし、スクイークセントラルでこじんまりやってた時もうまくいった。でも今は違う。あれは一人の人間が使うには良いけど、今みたいに沢山の人が関わるとうまく行かない。スクイークは教授の脳のような物だ。沢山詰まっているけど、柔軟じゃない。プレゼンの時にはスクイークのほんの一部しか使ってないはずだけど、依存性のために全部が必要だ。本当はもっと子供の脳みたいな方が良い。子供の脳みたいに、本体はまっさらで最低限必要な物しかないけど、必要な時に必要な物を取り外しできる。


そう。個人で使うぶんには、必要なものはなんでも詰め込んでおいて、普段は、インポートやブートストラップ(端的には起動シークエンス)が要らないっていうのは、いいんですよね。ただ、パーソナル・コンピューティング環境といえども、ローカルに静的に持っておくという考え方が、時代にマッチしなくなってきているのかもしれません。あるいは、まあ、ありがちなことですが、アラン・ケイはずいぶん前からこの仮想イメージの方式は気にくわなくて、それに対して危惧してきたことが、無視できないくらいの害をもたらすようになってきただけ…という話、とも。


とにかく、原則として現状を是としない人です。ケイのオブジェクト指向のなんたるかなんて話でもそうなのでしょうが、彼がちょっと褒めた程度のものはもちろん、Smalltalk など、彼が深く係わったものであっても、それが“こう”だから、彼の主張も“そう”であろう…というような帰納や憶測は、やめておいたほうがいい…ということだけは確かなようですね。最近、やっと学びつつあります。